経済学の仮説と現実は永遠に平行線か

経済学の仮説と現実は永遠に平行線か

経済学者は仮説を用いて経済を分析する。多くの場合、数式のモデルを用いる。

経済学が多くの人にとって難しいと感じる理由の一つは、数式を用いるところである。

資格試験など目指すと、数式の部分が大切、得点になると思ってしまい、問題を解くことに熱中してしまう人もいる。

しかし、経済学を理解するのに本当に大切なのは、仮説の本質を理解することらしい。

経済学や経済学者を現実ばなれしていると非難する人は多い。特に経済の予測を当てる商売をしている人たちに多い。

概ねここ10年くらいは、合理的期待仮説や市場原理主義が仮説批判の的になってきた。現実は仮説のとおりにはならないから、予測は外れることが多いのは当たり前なのに・・・・。

経済学や経済学者を非難する人はこの仮説の本質や意味を理解していないと思われる。

あるいは、自己もしくは自己の所属する団体の利益を代表しているため、

それが経済学の仮説、主張と合わないと非難しているケースも多い。

仮説の重要性の理解は、もしその仮説がなかったらどうなるかを考えてみるとわかりすい。この仮説のない状態を『まあ、いろいろ あるさの楽観主義』と名付けておこう。

『まあ、いろいろな人が収入の人がいるから、仕方がない。』『まあ、いろいろなお金の価値観の人がいるから格差が広がっても仕方ない。』『まあ、いろいろな国があっていろいろな市場があるから仕方がない。』『まあ、生活必需品に関してもいろいろな定義があるから仕方がない』となってしまう。

また、別の社会科学の学問の分野で考えてみても

『まあ、いろいろな宗教的価値観の人がいるから宗教対立による戦争はなくならない』

『まあ、いろいろな人種の人がいるから対立が広がるのは仕方がない。』『まあ、いろいろな国家の価値観があるから仕方がない』となってしまう。

なんら、世界の現実に起きている問題に解決策を提示できない。

仮説が現実ばなれしている時よりももっとひどい。少なくとも現実離れしている仮説は、別の現実があることを教えてくれる。

『仮説が重要でない、目の前の現実が重要である』と主張することは、『世の中に学問は必要無い』と言っていることと同義である。

なぜならば、『複雑多岐にわたり膨大な現実の事象をすべて個別の事情を考慮して試行錯誤していくしか人間の進歩は無い』と主張していることと同義になるからである。

だから、『経済学の仮説が間違っている、現実離れしていると言っている』人との議論は生産的にはならない。他の社会科学全般も含めてそうなのかもしれない。

仮説が現実離れしている場合に、経済学や学問は、何を提示できるのであろうか。おそらく、その場合は、仮説を複数を組み合さなければ、現実を適切に説明はできないのかもしれない。

この点をわかりやすく説明できる人が増えれば、自社の利益代表のようなエコノミストや金融機関の営業マンに人々は騙されにくくなる。

一般の人に経済学の仮説の本質的重要性が理解されるようになると日本の未来は明るくなるかもしれない。日本経済衰退論が今隆盛を極めているが、

伝統的な経済学の延長線上の仮説から導かれる解決策はいくつかある。労働市場の改革、教育や社会資本の充実によって、高齢化社会の消費減退、貯蓄過大社会を克服できるかもしれない。

中等教育と高等教育で『経済学の仮説の重要性』がわかりやすく理解できる改革ができれば、日本の未来は明るい。

悲観主義にも楽観主義にも同調せず自ら考え学び続ける若者が増える。本を理解して記憶するのではなく、本と対話ができるようになる。

そうなれば日本の未来は明るい。

参考文献:「絶望を希望に変える経済学(Good Economics for Hard Times)」アビジット・V・バナジー&エステル・デュフロ 村井章子訳(日本経済新聞社出版 )

: 試験攻略入門塾 速習 ミクロ経済学 マクロ経済学 石川秀樹〔著〕2nd  edition  中央経済社

 

 

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